9月12日に行われた表記の集いに、350人が参加しました。講演をいただいた河田惠昭関西大学社会安全学部教授の当日の説明資料をPDFでアップします。
【解説】
4枚目:地図は南北が通常と異なり逆で、上が南。ちなみに、真ん中の赤い★は、現在の大阪ドームのある場所だそうです。
5枚目;左が北の古地図。淀川の左岸が洪水の被害にあいましたが、右岸はあまり人が住んでいなかったそうです。
8枚目;上にある線は災害による死亡率。右側が下がっているのは1934年室戸台風以後、対策が進んだため。点線は1/1000で、1000人に1人死亡を意味します。水没した地域だけの人口で見ればもっと高くなります。阪神淡路大震災では死者1.7人/1000
人。
10枚目:大阪市が「東洋のマンチェスター」と言われたころ、多くの工場が地下水を吸い上げ、地盤が沈下しました。人工島である咲洲は今も年間60cm沈下しています。
11枚目;黄緑色が「海抜ゼロメートル地帯」です(マイナスのところも)。薄いブルーは温暖化で海水面が63cm上がれば「ゼロメートル地帯」になるところ。ダークブルーは3mの津波で被害を受けると考えられるところ。つまり、色のついた地域はすべて危険。
21枚目;大阪府による調査による。想定死者数には地下街は含まれていません(←大阪市の管轄。市は詳細な調査をしていない)
25枚目;グランフロント大阪は安藤忠雄氏の設計による。キタの地下街は面積15万㎡。高さが5mで容積は75万㎥。津波の水量は1億8000万㎥。桁が違います。
33枚目;サンマルコ広場。地盤沈下により、満潮時には腰のところまで浸かります。
41枚目;水害の後の写真。壁がはげている2.5mまで水が来ました。
42,43枚目;ニューヨークの地下鉄の水没後の写真。6か月使用不可能でした。
詳細でわかりやすい資料ですので、ぜひご覧になってください。